6期同窓会(2009年11月14日)

「師」と「子(し)」が会って幸せ

 

六期生 佐々木清安

 

6期同窓会 何時から何だろう?金色や茶色の髪をした若者を見かけたり、穴の空いたズボンや下着が見える服を着ている若者を見かけても驚きを感じ無くなったのは・・・。

 
 我々にとって青春ど真ん中だった高校3年間はどんな時間だったんだろう?
そんなことを考えていたある幹事会で、還暦前の同期会は「仕事の話と病気の話とゴルフの話が中心の懇談会」から、生前与儀先生のからお預かりしていた修学旅行の映像を中心に「俺たちまだまだ若くてイケてるぜ」的な会にしよう、なんて無責任な発言者やそれに同調する者があり、酔狂な幹事が驚愕の企画を持ち込んできた。

 
6期同窓会 その企画は「11月14日赤坂のライブハウスに、汗と涙と昭和の香りに加齢臭を加え、情熱という名の薄着に、メタボという名の鎧を着込み、寒さに負けずに弾けよう!」であり、協議の結果、実施が決定し当日を迎えた。

 
 しかし、何と当日集まった元高校生達は、髪を染めたくても、その形跡もないようなオッサンや染めたとしても黒色しか使えないオバサン、かっこつけて頭にのせていたサングラスが首からぶら下げた老眼鏡となってしまった者や、正確さを重要視し数字だけだった時計が、宝石がついた2本の針追いかけっこをする時計を身に付け、光っていればガラス玉でも良かった装飾品が重厚な輝きを放つ誕生石に変わってしまった者など前期高齢者予備軍であった。

 
 卒業アルバムを拡大した若かりし頃の写真を首にぶら下げながら、懐かしの70年代フォークソングをBGMに、与儀先生が撮影された8ミリをDVDに編集した「修学旅行」を流しつつ、木場総合司会の開会挨拶、佐藤幹事からの本会の開催趣旨説明、ご出席いただいた先生を代表して山崎先生からの挨拶等、ライブハウスとは思えない厳かな雰囲気で六期会は始まった。
 乾杯の後、首にぶら下げた写真とその後ろにある現在の姿を見比べながらみんな口に出してはいけない言葉を、アルコールと一緒に胃に流し込む大人の対応をしていた。

 
6期同窓会 しかし、時間がたつと状況は一変し、飲み込んだはずの言葉は数倍にふくれ上がり、最初に自身の外形及び内面に関する告白という名の小さな自爆テロを行った後は、速射砲の如きに攻撃を開始し、相手の引きつった苦笑いを無視して「人間の進化論と退化論」は最高の「酒とつまみ」に変化させられてしまった。

 
 突然、ステージから、ベンチャーズの名曲パイプラインが流れはじめ、巨漢の司会者と4人グループの演奏が六期会を盛り上げた。

 
 余興の一部はビートルズを中心とした演奏を出席者達は手拍子と足踏みで聞き入っていたが、二部は飛び入り大歓迎の参加型式のライブになった。最初は呼びかけに躊躇するオジサンオバサンも、急遽行った抽選で当たったらあきらめは早い。

 
ステージに上がるや演奏者達をバックバンドに変えて懐かしのグループサウンズの曲を借りたギターを弾きながら、リードボーカルとして絶叫したり、ダンスステップを披露したりして大いに盛り上げた。

 
 瞬発力を誤魔化すことはできたとしても、持久力は正直である。2時間も経過すればできる運動は座ったままで口元にグラスを運ぶ手の上下運動しかできなくなっていた。

 
 六期会の終盤のメインイベントのひとつは、先生一人一人から「近況」の報告をお願いすることである。今までは随分先と考えていた「還暦からの人生」を数年後に迎える我々にとって、先生方の報告は、学生時代の授業以上に真剣に聞くことができたような気がして、いつまでたっても「師」であることを再確認した次第である。

 
 全てにおいて順風満帆のように記述してきたが、本当はこの内容での同窓会を開催することに幹事は悩んでいた。しかし、閉会した今大きな声で言いたい。この六期会を開催して「正解」内容も「盛会」であったことを!

 
 最後に報告します。舞台のメインマイクには、卒業アルバムから切り抜かれた与儀先生の写真を掲げさせて頂きました。その写真の与儀先生は、開式前の幹事の奮闘する姿、思い出話に爆笑したり反論したりする教え子達の姿、飛び入りのバンド演奏、同僚教師の近況報告、再会を約束して交わす「師と子(し)」の固い握手する姿、全てを当時の優しい笑顔で見守って下さったことを・・・・・。