辻 博康先生(平成18年3月退職)
退職にあたって
辻 博康
2006.5.29
卒業生の皆さんお元気ですか。
私はこの3月末日をもって中央大学杉並高校を定年退職しました。
昭和39年に奉職以来、42年間の永きにわたって勤務させていただいたことになります。その間、授業・担任・化学部・サッカー部・茶道部・ゴルフ部・生徒会等で多くの方々と接することができ幸せでした。幸い体力的にも余力を残して退職することができました。
これからは趣味のゴルフをやりながら、日本伝統文化の茶道の普及につとめたいと思っています。
これからの私の生き方は「無事是貴人」の生き方をしたい。これは私の茶道の師範から頂いた掛軸に書かれている言葉です。この言葉の意味を、“事を起こさない人は立派な人”程度に考えていました。ところが調べてみると、深い意味がありました。
この言葉は臨済録に「無事是貴人なり、ただ造作することなかれ、ただ是れ平常なれ」の一部分であることがわかりました。その意味は、あれこれと思案をめぐらすな。何も求めず、無心に過ごせ。平凡な人、是れ非凡。 無事とは何もしないことではなく、積極的に外に向かってではなく自分に向かって「造作」すること。
*造作とは「面倒くさい」「むずかしい」の反対語
当然のことを造作なく当然にやることが、平常であり無事ということ。いかなる境界におかれようとすべて造作なく処置して行く事ができる人が「無事是貴人」というべきと書かれています。
私の亡き師範が「無事是貴人」を目標に生きなさい。と言ってくれているように思うようになりました。
以上、簡単ですが中杉の発展と卒業生の皆様の益々のご活躍を祈念して、退職の挨拶といたします。
辻先生との32年間
理科(化学)教諭 海老原真純
1974年(昭和49年)春、まだ中杉が木造校舎だった頃、私は化学の講師として初めて中杉に来ました。そのとき、最初にお会いした先生が白衣姿の辻先生でした。今考えれば私とそう歳も違わなかったでしょうに、しかしこの年に教師になったばかりの私からみると、辻先生は大層大人にみえたものでした。化学の教科書を渡され、「この範囲をやってくれれば、好きにやっていいですよ。」と言われました。新米なのに一人前に扱ってもらえた喜びと頑張ろうと決意したその日のことを、30年以上経った今でもはっきり覚えています。
私の長い講師生活の中で、中杉ただ一人の化学の専任教諭である辻先生には大変お世話になりました。化学実験中の生徒のケガもありました。今、専任の立場になって考えてみると、講師の授業時間中に事故が起これば、生徒の対応・保護者の対応・教員会議・保健室関係など様々な事柄が生じ、時間的にも精神的にも随分大変な事になるとわかります。当時も先生には充分に感謝していましたが、専任としての立場のわかる今ではしみじみとその優しさや有難さを感じます。
この30年間余り、私はいつもいつも忙しい授業をしています。教科書を進めなければ、もう1問多く解いてもらおう、実験技術も教えなくては…など、言うこと・やることが多くて、大きな声で全エネルギーを使っての忙しい授業展開です。ところが辻先生はとても静かに淡々と落ち着いた授業をなさるのです。また、実験前には生徒にビデオを見せ、ビデオのレポートも提出させる。私にはビデオの時間は到底取れません。しかし不思議なことに、辻先生の試験範囲は私と同じなのです。採点の素早さはすごいです。テスト終了とともに採点を始め、気が付くともう終わっています。時間は平等に与えられているはずなのに、どこからそんな時間が生まれるのかはとうとうわからずに今日まできてしまいました。
『全てにおいて、ゆったりと構え、大げさに騒がず、何事も手早く淡々とこなす』これが辻先生流の仕事の仕方なのかなと私は今思っています。
辻先生と過ごした32年間を語るにはこのスペースでは到底足りません。
最後に、「辻先生、本当にお世話になりありがとうございました。中杉理科はみんなで協力しあって、これからも頑張っていきますので、どうぞよろしくお願いします。」という言葉で終わります。