杉朋会総会(平成15年度) 浅田次郎氏講演会
総会出席者200名超の盛況
平成15年5月24日(土)午後2時から、中央大学杉並高等学校体育館において、杉朋会の総会が行なわれた。
◎第1部 総会
会務執行委員、荒井良道氏(10期生)の進行で総会は始まった。
①活動報告
先ず、宮崎和博会長(2期生)より、平成12年度~平成14年度の3年間の活動報告が行われた。 活動内容としては、規約に定められている卒業生のデータの把握・管理を充実させる為に、3年間杉朋会が行なってきた各種事業が紹介された。会報の発行(第9号~第11号)、緑苑祭への参加(3年間)、卒業生に対する卒業記念品の贈呈(3年間)のほか、同期会開催に対する補助活動、 同期会開催の「核」となるべき代表幹事会の開催等を、前理事会に引き続き行なったとともに、「クラブOB会開催に対する補助活動」(平成14年度から) 「杉朋会ゴルフコンペの開催」(平成13年・平成14年)、「授業料貸費制度への寄付」(平成13年)、「杉朋会ホームページの開設」(平成14年)等の 新規事業にも取り組んだことが報告された。
②会計報告
続いて、五十嵐則子会計(8期生)より、平成12年度~平成14年度の3年間の会計報告が行われた。理事の「ボランティア」中心に行うことにより経費節減に努め、また平成14年度に実施した「2回目の10年会費徴収」にも600名を超える会員からの納入があり、平成14年度末には、1,800万円を超える次年度繰越ができたことが報告された。(各年度の収支明細票は別表参照)
③会計監査報告
会計報告に続き、茨田実江子会計監査(6期生)から、「すべて適正に処理されており問題ない。」旨の監査報告が行われた。
①~③の各報告が総会出席者に諮られ、大きな拍手をもって承認された。
続いて議事は「新役員の選出」へと移った。
新会長に矢田岳夫氏(1期生)・新理事14名で杉朋会新たな船出
④新役員選出
恒例により、新役員候補者の選出を一任された宮崎会長から、14名の候補者が紹介された。
現行理事会からの重任者7名、新任者7名の詳細は次の通り。(名前の後の※は重任者)
会 長 1期生 矢 田 岳 夫
副 会 長 1期生 横 田 晶
副 会 長 3期生 佐 藤 道 夫 ※
会 計 9期生 水 口 尚 子 ※
会 計 14期生 伊 藤 浩 子
会計監査 6期生 茨 田 実江子 ※
会計監査 20期生 宮 本 孝 幸
会務執行委員 4期生 高 山 修 ※
会務執行委員 5期生 恒 松 眞喜子 ※
会務執行委員 7期生 竹 花 隆 幸
会務執行委員 14期生 小 林 重 夫
会務執行委員 15期生 大 柳 良 ※
会務執行委員 15期生 高 橋 幸 子
会務執行委員 19期生 薮 内 謙 治 ※
大きな拍手により、役員候補者14名は信任され、これを受けて新役員を代表して矢田会長から決意表明が行われ、総会は全議事を無事終了し、第1部杉朋会総会は閉会した。
在校生・保護者も合同で600名の大講演会
浅田次郎氏「浅田次郎のないしょ話」
◎ 第2部 講演会
第2部の講演会は、「在校生・保護者にも聴かせて欲しい」との学校側の要請を容れて、卒業生・在校生・保護者合同の講演会となった。
総会後の休憩時間に、在校生220名、保護者160名余が入場し卒業生220名に加わり、会場の体育館は600名の熱気に包まれた。
講演者は、第5期生の岩戸康次郎氏というよりは、作家の浅田次郎氏といった方が判りやすい。浅田氏は1卒業生として第1部の総会から会場に出席されており、会場座席から満場の拍手に迎えられて登壇。
時折ユーモアも交え、競馬の話の時は思わず声に力が入るなど、約1時間の講演であった。
(講演の内容は、別記「浅田次郎氏講演内容・抜粋」をご覧ください。)
講演終了後、浅田氏に在校生代表より花束が贈呈された。お返しに、在校生1名に「僕は人生についてこんなふうに考えている」が、また保護者の方1名に「鉄道員(ぽっぽや)」の各著書が浅田氏のサイン入りで贈呈された。(運の良かった2名の方、おめでとうございます。)
会場混雑および浅田氏の第3部懇親会への出席の関係で、講演会終了後のサイン会は杉朋会の判断で行わないこととしていましたが、浅田氏より「もし私の著書をわざわざご持参くださった方がおられたら、その方には是非こちらからサインをさせていただきたい。」との申し出でがあり、事前の予告がなかったにもかかわらず、著書を持参された多くの方が、サイン会場となった控え室に並ばれました。そのため浅田氏が懇親会へ入れたのは、懇親会開始30分後でした。浅田さん、本当にどうもありがとうございました。そして、お疲れ様でした。
◎ 第3部 懇親会
第3部懇親会は、会場を地下生協食堂に移して行われた。講演会だけで帰られた方は15名程度で、約200名の卒業生と先生方で、会場は一杯。
矢田・宮崎の新・旧両会長の挨拶、堀口副校長先生のご挨拶もそこそこに、高橋三幸前副会長(7期生)の音頭で乾杯。そして会食・歓談へ。
( しばし、歓談 )
谷内田教頭先生のご挨拶、退職された山崎省次・浜田丞平元教諭からもご挨拶をいただき、引き続いていよいよお待ちかねの「抽選会」。賞品は浅田次郎氏の著書で、初期の作品から最新作まで、長編・短編・シリーズものと千差万別の全27冊。それもすべて浅田氏のサイン入り。太っ腹な杉朋会は、上下巻の作品は2冊セット、1巻~3巻のシリーズものは3冊セットにし、全21名に当たる。
抽選者およびプレゼンターは、講演会後の著書へのサインを終え、会場にたどり着いた浅田氏がこれも快く引き受けてくださいました。
抽選に当たった方々、おめでとうございました。(でもこれで、あなた方は今年の運を使い果たしてしまったのかもしれません。お気の毒さま。私は是非当たって欲しいと思っていましたが、運を6月以降に持ち越しました。)
抽選会が終わった後は、山崎省次氏ご指名により、飛び入りで片桐(旧姓森下)由美さん(9期生・現お笑いトリオ「だるま食堂」のメンバーとして活躍中)に盛り上げて いただき、最後は恒例の高尾弘教諭による「手締め」で、懇親会もつつがなく終了することができました。
次回の杉朋会総会は3年後になりますが、そのときにもぜひ皆さん出席してご一緒しましょう!
浅田次郎氏講演会 講演内容抜粋
浅田次郎氏の講演の内容を抜粋しました。本来「講演」は、講演会全体として見るべきですが、全文掲載はとてもできませんので、出席できなかった方のために、あえて抜粋いたしました。浅田氏に怒られるかもしれない・・・・・
「私は、映画「壬生義士伝」の原作者ではありません。私の小説「壬生義士伝」が映画化された、これが正しい。映像は確かに、大切な文化の1つではあるけれども、やはり人間の叡智、人間の教養というものは、活字を通してしか得られるものではない。映画を観た、テレビを見たといって、それで原作を読んだようなつもりになるのは大間違いである。是非活字に親しんでほしい。」
「私の小説家としてのデビューは随分遅れたが、何故遅れたかという理由ははっきり分かっている。それは、別段力が足りなかったわけではなく、自分でものを書くことを面白がってしまったからである。書いていること自体が面白い。遊びと小説を書くことの区別はほとんどない。競馬をやるのと小説を書くのとどちらが面白いかというと、全く問題なく、小説を書くほうが面白い。」
「私はいずれは小説家になろうと思っていた。若い人は「何かになりたい」という考え方ではだめ。「自分はなるんだ」と思い込まなくちゃあだめ。ほかの事は考えない。あれもこれもやれるほど人生は甘くもないし長くもない。仮に、いくつかのことがある程度できるようになったとしても、その世界で1つのことをやっていた人間には全くかなわない。そういう人生の道理の上では、才能などというのは全く意味のないもの。だから、1つのことに狙いを定め、1つのことを一生懸命やる。そして、その1つのことは自分のとても好きなことでなくてはならない。」
「小説はただ面白いだけではなく、読者にとって、ある「糧」になるものでなくてはならないという信念を私は持っている。芸術というものの使命でもあると思っている。」
「壬生義士伝の中で私が訴えかけたかったことは、1つは「日本人の、日本人としてのナショナリズムの欠如」である。これは一見しては読み取れないかもしれないが、私は盛岡を日本の国になぞらえて書いたつもりです。もう1つは、男性が男性を喪失した現在、「男とは一体何だろう」というテーマです。」
「私が小説を書くときは2つだけ考えます。1つは「美しいものを書く」、1つは「判りやすく書く」。なんとなれば、理想の芸術の形というのは、この2点だけだと信じているからであります。ほかに理屈は必要ありません。」
「私は、芸術の本質は「娯楽」と思っています。判りづらい芸術は二流品。いい芸術は、老若男女誰が見てもきれいなものが真の芸術の一流品であります。私はそういうものを目指しているわけですが、高校生諸君よ、ともかくきれいなものを見なさい。映像・電波を通して見るのは、少なくとも世にあるもので1番美しいものではない。機会があれば足を運んで、必ず本物を見るようにしてください。若いときに見た美しいものは、一生の糧になります。」
「私は資料を使わない小説というのはあまり書かない。調べ物が好きなのかもしれない。私の小説の中で資料を使わなかったのは数少なく、1つは「天国までの百マイル」、これは自分の身の上にあったことをそのまま書いた。もう1つは「霞町物語」。これは私の中大杉並高校時代の悪たれであった頃のことを書いた自伝的小説だから資料は必要なかった。それ以外は、膨大な資料を必要としている。この調べものの読書が私のお勉強タイム。昔は1日6時間、今でも1日4時間は読書をしています。1日1冊の本は読んでいる。今の人たちは、ほとんどの人たちが「それは無理だ」というかもしれないがそれは違う。「読めない、読んでいる時間がない」という今の人たちは4時間という時間が取れないだけの話。でもテレビを見たり、コンピュータをやったりしている。1番しょうがない時間は「携帯でメールを打っている時間」。今自分がやっていることが、建設的であるかどうかということを考えてほしい。お父さんにもよくいる。お父さんが駅のベンチで一生懸命メールを打っている姿はやだね。猥褻なんですよ。メールを打ったほうが便利という場合もあるだろうけれども、ほとんどの場合人間のコミュニケーションは、基本的には会って話をするのが原則。顔を見てするのが原則。延べにすれば、1日に1時間、2時間、携帯でメールを打っている人が多いが、何の役にも立たない。携帯電話がうまくなっても直木賞は取れない。時間をうまく使っていけば、1日4時間という読書時間をひねり出すということはそんなに難しいことではない。読書時間の捻出は、私は自分で自分が面白いことをやっていたというだけで、努力をしているという感覚は全くない。皆さん、今からでも1日4時間の読書時間を取りましょう。」
「私は昔から、自由に、自分のやりたいことをやってきた。その源をたどると、やりたいことをやらせてくれた中大杉並高校に突き当たる。自由だった。ひとつは付属高校であるということ、皆さんも中大にいけるのであるから、無理やり早・慶に行こうとしなくていい、それでいい。むしろ大学の付属という環境を謳歌しつつ、自由に自分のやりたいことを少しでもやっていく。これはほかの受験生にはないことです。私は中大杉並の自分の同級生をとても誇りに思っている。イイ奴が多い。常識的な奴が多い。学業的に優れているとは言わないが、いい奴・常識的な奴が多いです。これは、自由な校風の中で、自分でちゃんと物を考えることができたからだと思う。」
「私は今もずっと勉強してます。勉強はイヤイヤやったら勉強になりません。自分の好きなことを好きなだけ勉強するのが本当の学問。これをどうか一生続けてください。学問は誰のためにするものではなく、自分のためにするものだということが近頃シミジミ分かりました。なぜなら、自分勝手な学問の蓄積の結果、今、小説を書いてご飯を食べていられる訳で、その好きな学問を私の生活から奪ってしまったら、何も残らない。そういう意味では、私の人生というのは、小説家になりたくて小説を書いていたというのとはちょっと違い、小説を書くための努力と興味と好奇心とで、それに向かっていく学問の蓄積というものが自分を生かしてくれたと思っている。私は、小説家になれなくても、直木賞を獲れなくても、本が1冊も出ていなくても、多分今でも同じ生活をしているはずです。1日に4時間から6時間本を読み、朝6時に起きて原稿を書いているはずです。なぜなら、それが1番楽しくて、面白いことだからであります。」