バスケットボール部OB・OG会ご報告
今年も、例年通りバスケット部OB会を開催しました。平成23年11月12日土曜日です。中野先生も、顔を見せてくださり、1次会(体育館)、2次会と例年通り、盛り上がりました。
寄稿文章ではありますが、ずうずうしくも私の思い出話を書かせて頂きました。
私が、中学生の夏だったと思います。
中学のバスケットの仲間とテレビを見ていて、ちょうど国体の中継がされていました。高校の東京選抜の試合で、8期の南さんと9期の榊枝さん、喜入さんが、試合に出ておられました。アナウンサーが「中大杉並の南が、・・・。」と実況しているのを聞いて、私は中野区でしたので、近くにこんなに、バスケットが強い高校があるのかと少し、驚きと憧れのような気分を感じたのを覚えております。
その当時は、今のようにNBAなどの試合を見ることが出来なかったので、たまにテレビ中継される、国体や実業団の試合が、一流のバスケット選手のプレーを見られる限られた機会でした。
私の中学のメンバーは、みんな背が小さい選手だったので、中野区で決勝まで行ったものの延長戦で敗れて、都大会でも2回戦(ベスト32)程度の実力でした。ただ、みんな、ジャンプ力とスピードを持っていましたので、高校へは、中大付属、日体荏原、国学院久我山などの強豪校へ進学して、それぞれガード、フォワードのレギュラーとして、活躍しており、都内ではベスト8以内で、インターハイに出場したものもおります。
私も、みんながバスケットの強い高校への進学を希望しておりましたので、自分もその流れで、中大杉並への受験を決めたと記憶しています。
中大杉並に入学したものの当時の中大杉並のバスケット部は、名門と知っておりましたし、「厳しいぞ!!」と中学の先輩からも聞いておりましたので、しり込みをしておりましたが、1つ上の角張先輩に勧誘されて、躊躇したものの、中大杉並の3年間、バスケット部に所属することになりました。
入学当時、驚いたのが体育館です。13期以降の皆さんは、ご存じないと思いますが、木造で、エンドラインから、数10センチで、壁という広さで、もちろん、バックボードも木製で、ペンキがはげており、床も転んだら、ささくれで怪我をしそうな感じでした。
このような環境で、インターハイへ出場するチームが練習しているのをすごく不思議に感じておりました。
その体育館で、ランニングシュートや速攻の練習のときに、壁にぶつかったり転んだりしたときには、中野先生にえらく怒られたのを覚えております。
中大杉並の歴史は、今年50周年を迎えますが、もともと中大付属(当時男子校)が小金井に移転したあとに、改めて中大杉並(男子部・女子部)として、創立されたと聞いております。
先代の中大杉並のバスケット部は、野口先生が率いており、全国大会では、常勝チームだったそうで、9連覇を達成した秋田の能代工業の顧問の先生が、目標としていた先生(チーム)だったそうです。
谷口正朋さん(ミュンヘンオリンピックで得点王になった選手(中大杉並→中大→NKK))などの有名な選手も、中大杉並の出身なので、例の木造の体育館で練習をされていたでしょうから、その体育館で練習が出来たことをとても誇りに思っております。
中野先生も、東京オリンピックの代表選手と聞いておりますし、野口先生と同じ大学ですので、何らかの形で中大杉並に呼ばれたのではないでしょうか。
現在、バスケット部を指導して頂いている後藤先生も、同じ大学の出身との事ですので、中大杉並のバスケット部の顧問の先生は、一筋の流れがあるように思えます。(野口先生→中野先生→後藤先生)
先々代の野口先生は、全国大会を征しておりますし、先代の中野先生も全国大会へ行っておりますので、是非、後藤先生も全国大会へ後輩たちを連れて行って下さい。また、43期の唐沢君は、現在、中大のバスケット部で、活躍されていると聞いております。中大のバスケット部で活躍できる選手の育成についても、あわせてお願いいたします。私たちOBとしても応援しております。
追伸ですが、高校選抜大会(ウインターカップ)の中継を見ているとたまに、中野先生の姿がちらりと映ります。たぶん、中大杉並もその場にいて欲しいと思っているのではないでしょうか?
中野先生のルーズボールで(木造の体育館で)、ころころ転がって、「お前は、亀か!!」と言われていた12期の滝下でした。
※バスケ部OB・OG会では毎年OB・OG会を開催しております。
詳しくは、バスケットボール部OBOG会ホームページをご覧ください。
現役の情報や写真集などもアップしております。
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