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	<title>杉朋会 - 中央大学杉並高等学校 同窓会 &#187; 中野幸一先生</title>
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		<title>中野幸一先生（平成17年3月退職）</title>
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		<pubDate>Thu, 31 Mar 2005 15:00:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[3. 先生方の動向]]></category>
		<category><![CDATA[バスケットボール部]]></category>
		<category><![CDATA[中野幸一先生]]></category>

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		<description><![CDATA[ゆったり散歩 中野幸一   　退職してから毎日が「日曜日」。   　朝の涼しい時間帯、出会う人に「おはようございます」と元気に挨拶しながら、自分のペースで自分に合った運動。こんな一日のスタートも楽しいと思い、二時間半の「ゆったり散歩」を始めました。   　浅川合流点から南浅川の陵南公園の桜並木まで、木や土のぬくもりに触れ、風のにおいなど心地よい空気を感じています。   　振り返れば、昭和四十年四月就任以来、バスケットボール一筋。身体を使って指導していたに過ぎず、勝てない駄目なコーチの見本のようなものでした。   　就任間もない頃、バスケットボール部がインターハイに出場するにはどうしたらいいのか毎日考えていました。バスケットボールが大好きな生徒が集まってはいたものの、部員の数は少なく、体格や運動能力に恵まれていたわけではありませんでした。最も大きな課題がスタミナでした。上を目指すには、四十分間という試合時間を走り通す脚力とスタミナが不可欠です。連日、徹底的に練習に励みました。部員が翌日登校しないのではないかと不安になったこともありました。普通なら相手にしてもらえないような強豪チームの中大附属高校にも、兄弟校のよしみで胸を借りました。試行錯誤の連続でしたが、最後まで望みを捨てない、団結力のあるチームヘと成長し、遂にインターハイに出場しました。   　今思えば未熟な指導でしたが、生徒が一日として休むことなく、多くの困難にも負けず、自分たちで培った気力と技とで獲得した最高の勝利だったと思います。今も心の奥に強烈な印象で残っています。この体験は私にとって人生のピンチを救ってくれた大切な宝です。体育科の協力と支援、学校側の理解を得て、良い思い出ができました。感謝しております。これからも前向きに努力していくつもりです。   　それでは皆様のご健康とご多幸をお祈りいたしております。 　ありがとうございました。     中野先生の思い出 根本俊臣   　中野幸一先生は、中杉創立、間もない初代の鈴木校長期に高校教諭の経験者として中杉の体育に新しい風を吹き込む先人として赴任されました。   　着任時の本校の体育指導方針は、高校生活の中に多くの運動に触れさせる。全校生徒が何らかの運動経験を体得し、部活動では選手強化優先方針を排除し、放課後もすべての体育施設を開放し多くの生徒にスポーツの機会を与えることが教育政策であり校長先生の体育・スポーツへの考えであり、また、それが強く打ち出されていた時期でありました。   　体育科教員の田村、中野、根本、藤川(中大教授)は、保健体育科の目標を中大正科体育の中核になる生徒の養成。体育行事新設によってスポーツ体験の機会を多く与える方策を立てるとともに、体育授業の充実に努めることを基本目標として、中野教諭は即座に体育補講を実施し放課後に止まらず昼休みも惜しんで指導。それに止まらず合宿にも参加させることになりました。当時の夏季合宿は合同合宿であり、その合宿に体育時間の欠席の多い者を種目選択させ参加させ、マラソン大会も３年生を招待選手の名目で同じような生徒を参加させるなど、中杉の体育への積極的な参加態度養成、体力・技術向上を目指し率先し行動に移され、中大体育の本校履修者に高い評価がされるようになり、中杉体育学校という名称がつくほどの強力充実した指導内容でありそれが生徒の誇りでもありました。   　この状況は、部活でも大きな影響をあたえ、学校の方針とは裏腹に活躍する選手を多数輩出するようになり、中野先生のバスケットボール部は当然に、バレーボール部、水泳部、陸上部、テニス部、ボート部の全国大会を始め国体出場と多部にわたる活躍の基礎となる体力向上に結びつくことになりました。中野体育学校とも呼ばれる中杉体育の一時代を築かれ、今は懐かしい思い出となりました。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<h3>ゆったり散歩</h3>
<p style="text-align: right;"><strong>中野幸一</strong></p>
<p> </p>
<p>　退職してから毎日が「日曜日」。</p>
<p> <br />
　朝の涼しい時間帯、出会う人に「おはようございます」と元気に挨拶しながら、自分のペースで自分に合った運動。こんな一日のスタートも楽しいと思い、二時間半の「ゆったり散歩」を始めました。</p>
<p> <br />
　浅川合流点から南浅川の陵南公園の桜並木まで、木や土のぬくもりに触れ、風のにおいなど心地よい空気を感じています。</p>
<p> <br />
　振り返れば、昭和四十年四月就任以来、バスケットボール一筋。身体を使って指導していたに過ぎず、勝てない駄目なコーチの見本のようなものでした。</p>
<p> <br />
　就任間もない頃、バスケットボール部がインターハイに出場するにはどうしたらいいのか毎日考えていました。バスケットボールが大好きな生徒が集まってはいたものの、部員の数は少なく、体格や運動能力に恵まれていたわけではありませんでした。最も大きな課題がスタミナでした。上を目指すには、四十分間という試合時間を走り通す脚力とスタミナが不可欠です。連日、徹底的に練習に励みました。部員が翌日登校しないのではないかと不安になったこともありました。普通なら相手にしてもらえないような強豪チームの中大附属高校にも、兄弟校のよしみで胸を借りました。試行錯誤の連続でしたが、最後まで望みを捨てない、団結力のあるチームヘと成長し、遂にインターハイに出場しました。</p>
<p> <br />
　今思えば未熟な指導でしたが、生徒が一日として休むことなく、多くの困難にも負けず、自分たちで培った気力と技とで獲得した最高の勝利だったと思います。今も心の奥に強烈な印象で残っています。この体験は私にとって人生のピンチを救ってくれた大切な宝です。体育科の協力と支援、学校側の理解を得て、良い思い出ができました。感謝しております。これからも前向きに努力していくつもりです。</p>
<p> <br />
　それでは皆様のご健康とご多幸をお祈りいたしております。<br />
　ありがとうございました。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<h3>中野先生の思い出</h3>
<p style="text-align: right;"><strong>根本俊臣</strong></p>
<p style="text-align: right;"> </p>
<p>　中野幸一先生は、中杉創立、間もない初代の鈴木校長期に高校教諭の経験者として中杉の体育に新しい風を吹き込む先人として赴任されました。</p>
<p> <br />
　着任時の本校の体育指導方針は、高校生活の中に多くの運動に触れさせる。全校生徒が何らかの運動経験を体得し、部活動では選手強化優先方針を排除し、放課後もすべての体育施設を開放し多くの生徒にスポーツの機会を与えることが教育政策であり校長先生の体育・スポーツへの考えであり、また、それが強く打ち出されていた時期でありました。</p>
<p> <br />
　体育科教員の田村、中野、根本、藤川(中大教授)は、保健体育科の目標を中大正科体育の中核になる生徒の養成。体育行事新設によってスポーツ体験の機会を多く与える方策を立てるとともに、体育授業の充実に努めることを基本目標として、中野教諭は即座に体育補講を実施し放課後に止まらず昼休みも惜しんで指導。それに止まらず合宿にも参加させることになりました。当時の夏季合宿は合同合宿であり、その合宿に体育時間の欠席の多い者を種目選択させ参加させ、マラソン大会も３年生を招待選手の名目で同じような生徒を参加させるなど、中杉の体育への積極的な参加態度養成、体力・技術向上を目指し率先し行動に移され、中大体育の本校履修者に高い評価がされるようになり、中杉体育学校という名称がつくほどの強力充実した指導内容でありそれが生徒の誇りでもありました。</p>
<p> <br />
　この状況は、部活でも大きな影響をあたえ、学校の方針とは裏腹に活躍する選手を多数輩出するようになり、中野先生のバスケットボール部は当然に、バレーボール部、水泳部、陸上部、テニス部、ボート部の全国大会を始め国体出場と多部にわたる活躍の基礎となる体力向上に結びつくことになりました。中野体育学校とも呼ばれる中杉体育の一時代を築かれ、今は懐かしい思い出となりました。</p>
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