「バスケットボール部」カテゴリの一覧
- 2012年01月21日…バスケットボール部OB・OG会ご報告
- 2010年08月09日…バスケットボール部OB・OG会のご案内
- 2009年11月16日…2009年バスケットボール部OBOG会レポート
- 2005年04月01日…中野幸一先生(平成17年3月退職)
バスケットボール部OB・OG会ご報告

今年も、例年通りバスケット部OB会を開催しました。平成23年11月12日土曜日です。中野先生も、顔を見せてくださり、1次会(体育館)、2次会と例年通り、盛り上がりました。
寄稿文章ではありますが、ずうずうしくも私の思い出話を書かせて頂きました。
私が、中学生の夏だったと思います。
中学のバスケットの仲間とテレビを見ていて、ちょうど国体の中継がされていました。高校の東京選抜の試合で、8期の南さんと9期の榊枝さん、喜入さんが、試合に出ておられました。アナウンサーが「中大杉並の南が、・・・。」と実況しているのを聞いて、私は中野区でしたので、近くにこんなに、バスケットが強い高校があるのかと少し、驚きと憧れのような気分を感じたのを覚えております。
その当時は、今のようにNBAなどの試合を見ることが出来なかったので、たまにテレビ中継される、国体や実業団の試合が、一流のバスケット選手のプレーを見られる限られた機会でした。
私の中学のメンバーは、みんな背が小さい選手だったので、中野区で決勝まで行ったものの延長戦で敗れて、都大会でも2回戦(ベスト32)程度の実力でした。ただ、みんな、ジャンプ力とスピードを持っていましたので、高校へは、中大付属、日体荏原、国学院久我山などの強豪校へ進学して、それぞれガード、フォワードのレギュラーとして、活躍しており、都内ではベスト8以内で、インターハイに出場したものもおります。
私も、みんながバスケットの強い高校への進学を希望しておりましたので、自分もその流れで、中大杉並への受験を決めたと記憶しています。
中大杉並に入学したものの当時の中大杉並のバスケット部は、名門と知っておりましたし、「厳しいぞ!!」と中学の先輩からも聞いておりましたので、しり込みをしておりましたが、1つ上の角張先輩に勧誘されて、躊躇したものの、中大杉並の3年間、バスケット部に所属することになりました。
入学当時、驚いたのが体育館です。13期以降の皆さんは、ご存じないと思いますが、木造で、エンドラインから、数10センチで、壁という広さで、もちろん、バックボードも木製で、ペンキがはげており、床も転んだら、ささくれで怪我をしそうな感じでした。
このような環境で、インターハイへ出場するチームが練習しているのをすごく不思議に感じておりました。
その体育館で、ランニングシュートや速攻の練習のときに、壁にぶつかったり転んだりしたときには、中野先生にえらく怒られたのを覚えております。
中大杉並の歴史は、今年50周年を迎えますが、もともと中大付属(当時男子校)が小金井に移転したあとに、改めて中大杉並(男子部・女子部)として、創立されたと聞いております。
先代の中大杉並のバスケット部は、野口先生が率いており、全国大会では、常勝チームだったそうで、9連覇を達成した秋田の能代工業の顧問の先生が、目標としていた先生(チーム)だったそうです。
谷口正朋さん(ミュンヘンオリンピックで得点王になった選手(中大杉並→中大→NKK))などの有名な選手も、中大杉並の出身なので、例の木造の体育館で練習をされていたでしょうから、その体育館で練習が出来たことをとても誇りに思っております。
中野先生も、東京オリンピックの代表選手と聞いておりますし、野口先生と同じ大学ですので、何らかの形で中大杉並に呼ばれたのではないでしょうか。
現在、バスケット部を指導して頂いている後藤先生も、同じ大学の出身との事ですので、中大杉並のバスケット部の顧問の先生は、一筋の流れがあるように思えます。(野口先生→中野先生→後藤先生)
先々代の野口先生は、全国大会を征しておりますし、先代の中野先生も全国大会へ行っておりますので、是非、後藤先生も全国大会へ後輩たちを連れて行って下さい。また、43期の唐沢君は、現在、中大のバスケット部で、活躍されていると聞いております。中大のバスケット部で活躍できる選手の育成についても、あわせてお願いいたします。私たちOBとしても応援しております。
追伸ですが、高校選抜大会(ウインターカップ)の中継を見ているとたまに、中野先生の姿がちらりと映ります。たぶん、中大杉並もその場にいて欲しいと思っているのではないでしょうか?
中野先生のルーズボールで(木造の体育館で)、ころころ転がって、「お前は、亀か!!」と言われていた12期の滝下でした。
※バスケ部OB・OG会では毎年OB・OG会を開催しております。
詳しくは、バスケットボール部OBOG会ホームページをご覧ください。
現役の情報や写真集などもアップしております。
http://www.chusugi-basketball.com
バスケットボール部OB・OG会のご案内
中央大学杉並高等学校 バスケットボール部OB・OG会のご案内
【開催日】
平成22年11月6日(土)
【開催場所 】
1部 中大杉並高校(体育館)13:00~17:00
2部 荻窪近辺を予定(時間と場所は未定)
詳細につきましては、ハガキを持ちまして、ご連絡申し上げます。
多くの方のご参加をお待ち申し上げております。
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バスケットボール部 OB・OG会 代表 南正孝(8期生)
OB会実行委員長 田中 健(14期生)
OB会ホームページ http://www.chusugi-basketball.com/
お問い合わせはホームページのお問い合わせフォーム、
あるいは info@chusugi-basketball.com よりお願いします。
2009年バスケットボール部OBOG会レポート
16期 菊池英明

2009年11月7日、ついにその日はやってきた。数年前中杉バスケ部OBOG会ホームページを発見し、ぜひ参加したいと思いながら、地球の反対側ニュージーランドに在住している関係上、その思いを果たせずにいた。しかし子育ても一段落し、休みが取りやすい環境へと生活が良い方向に変化したことも幸いし、卒業以来初めて参加できることとなったのだ。
さて当日。一人では寂しいので同期の中西を誘い、荻窪で待ち合わせ徒歩にて母校へ。到着早々13期小川先輩に上級生に間違われるという悲しい事件に遭遇したが、気を取り直し体育館へ。徐々にインターハイ世代含めた先輩方や後輩諸君が揃い、現役生の練習に続いてOBOG会が始まった。途中、中野先生がお見えになった時、私の心は高校時代にフラッシュバック。思わず「何やってんだお前ら-」という、あの声が飛んでくると身構えてしまったことは言うまでもない。しかし当時に比し温厚になられた先生は、暖かく皆のプレーを見つめていらっしゃった。例のべランめ-調は相変わらずだったが・・・。
今年はややOBOG参加者数が少ないとのことで、後藤先生・3年生含めたOBOG全員を誕生月でAからDの4チームに分けゲーム開始。やはり年齢による衰えは隠せないものの、昔の感触を思い出しながら、額に汗して楽しくゲームを終えたのでした。それにしても7分間をなんと長く感じたことか。今更ながら「若さっていいな」などと思ったり。
最後に現役vs OB最強チームとの対戦で終了し、荻窪のホテル懇親会場(2次会)へ移動。
残念ながら中野先生にはご参加頂けなかったが、後藤先生はじめ卒業間もない大学生諸君にもご参加頂き、大いに飲んで食べ、昔を懐かしむ話しで時間は瞬く間に過ぎていった。
「OGが一人もきてない!」と某先輩はご立腹でしたが、来年に期待しましょう!
飲み足りない・話し足りないおじさんを中心とし、3次会に突入。
ここでも話題の中心は、勿論現役当時のあの頃の練習。各世代どんなに厳しかったか声張り上げての競演。やっぱり自分が一番苦しかったんだ、と思っているんですね~。
そんなこんなで、終電の時間が気になりだした頃、来年の再会を約束しお開きとなったのであった。
最後に:幹事を務めて頂いた先輩後輩諸氏、本当にお疲れ様でした。おかげで実に有意義で懐かしい時間が過ごせました。やはりバスケットボールって楽しいですね。また来年も元気にお会いしましょう! 仕切り方、宜しくお願い致します。
PS.16期中西、体鍛えておけよ。
中野幸一先生(平成17年3月退職)
ゆったり散歩
中野幸一
退職してから毎日が「日曜日」。
朝の涼しい時間帯、出会う人に「おはようございます」と元気に挨拶しながら、自分のペースで自分に合った運動。こんな一日のスタートも楽しいと思い、二時間半の「ゆったり散歩」を始めました。
浅川合流点から南浅川の陵南公園の桜並木まで、木や土のぬくもりに触れ、風のにおいなど心地よい空気を感じています。
振り返れば、昭和四十年四月就任以来、バスケットボール一筋。身体を使って指導していたに過ぎず、勝てない駄目なコーチの見本のようなものでした。
就任間もない頃、バスケットボール部がインターハイに出場するにはどうしたらいいのか毎日考えていました。バスケットボールが大好きな生徒が集まってはいたものの、部員の数は少なく、体格や運動能力に恵まれていたわけではありませんでした。最も大きな課題がスタミナでした。上を目指すには、四十分間という試合時間を走り通す脚力とスタミナが不可欠です。連日、徹底的に練習に励みました。部員が翌日登校しないのではないかと不安になったこともありました。普通なら相手にしてもらえないような強豪チームの中大附属高校にも、兄弟校のよしみで胸を借りました。試行錯誤の連続でしたが、最後まで望みを捨てない、団結力のあるチームヘと成長し、遂にインターハイに出場しました。
今思えば未熟な指導でしたが、生徒が一日として休むことなく、多くの困難にも負けず、自分たちで培った気力と技とで獲得した最高の勝利だったと思います。今も心の奥に強烈な印象で残っています。この体験は私にとって人生のピンチを救ってくれた大切な宝です。体育科の協力と支援、学校側の理解を得て、良い思い出ができました。感謝しております。これからも前向きに努力していくつもりです。
それでは皆様のご健康とご多幸をお祈りいたしております。
ありがとうございました。
中野先生の思い出
根本俊臣
中野幸一先生は、中杉創立、間もない初代の鈴木校長期に高校教諭の経験者として中杉の体育に新しい風を吹き込む先人として赴任されました。
着任時の本校の体育指導方針は、高校生活の中に多くの運動に触れさせる。全校生徒が何らかの運動経験を体得し、部活動では選手強化優先方針を排除し、放課後もすべての体育施設を開放し多くの生徒にスポーツの機会を与えることが教育政策であり校長先生の体育・スポーツへの考えであり、また、それが強く打ち出されていた時期でありました。
体育科教員の田村、中野、根本、藤川(中大教授)は、保健体育科の目標を中大正科体育の中核になる生徒の養成。体育行事新設によってスポーツ体験の機会を多く与える方策を立てるとともに、体育授業の充実に努めることを基本目標として、中野教諭は即座に体育補講を実施し放課後に止まらず昼休みも惜しんで指導。それに止まらず合宿にも参加させることになりました。当時の夏季合宿は合同合宿であり、その合宿に体育時間の欠席の多い者を種目選択させ参加させ、マラソン大会も3年生を招待選手の名目で同じような生徒を参加させるなど、中杉の体育への積極的な参加態度養成、体力・技術向上を目指し率先し行動に移され、中大体育の本校履修者に高い評価がされるようになり、中杉体育学校という名称がつくほどの強力充実した指導内容でありそれが生徒の誇りでもありました。
この状況は、部活でも大きな影響をあたえ、学校の方針とは裏腹に活躍する選手を多数輩出するようになり、中野先生のバスケットボール部は当然に、バレーボール部、水泳部、陸上部、テニス部、ボート部の全国大会を始め国体出場と多部にわたる活躍の基礎となる体力向上に結びつくことになりました。中野体育学校とも呼ばれる中杉体育の一時代を築かれ、今は懐かしい思い出となりました。
2005年04月01日 |
カテゴリ: 3. 先生方の動向




